サリンの製造と聞くと17年前の地下鉄事件を思い出す

シリアのアサド政権が猛毒のサリン製造をしていいるのではないかというニュースがあった。アメリカは化学兵器の使用は容認できないというが当たり前である。17年前に地下鉄サリン事件というものがありました。東京の地下鉄でオウム真理教が起こした同時多発テロです。死者を含む多くの被害者を出した。正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件。世界各地に大きな衝撃を与えました。丸の内線、日比谷線で各2編成、千代田線で5編成の地下鉄で神経ガスが散布され、13人が死亡した。負傷者は約6300人。戦後最大級の無差別殺人の行為であった。その前年には松本サリン事件があった。当時、有機リン系中毒の解毒剤であるプラリドキシムヨウ化メチルは病院にストックがなかったため、全国の病院や薬品卸会社へ収集令が出された。事件から二日後にオウムへの強制捜査を実施して事件の関与が判明した幹部クラスの信者が逮捕された。林郁夫の自供がきっかけで全貌が明らかになり、5/16日に教団教祖の麻原彰晃が事件の首謀者として逮捕された。この事件で40人近くが逮捕された。林を除く散布実行犯と麻原に対して死刑が言い渡された。事件当日は月曜日のラッシュアワーのピーク時、液体のサリンはビニール袋に入れて聖教新聞としんぶん赤旗の新聞紙に包まれていた。この新聞を読む支持者に矛先を向けようとしたらしい。各実行犯は一リットルの袋詰めを二つ運んで、林だけが三つ携帯していた。決められていた電車に乗り込んで、乗降口付近で先端を尖らせた傘で袋を突っついて電車を降りて用意しておいた自転車で逃亡した。日比谷線では複数の液で乗客が倒れて、築地駅と神谷町駅に救急車両が送られた。被害が拡大していったため、日比谷線の全列車の運転を見合わせて客を非難させた。千代田・丸の内線では不審物と異臭の通報のみだったので運行が継続されていた。その後営団地下鉄のすべての路線で全列車の運転見合わせを決定したあとに、膳駅、全列車の点検をした。運転を再開させたあとには、全駅、全列車に警察官と警備員などが配置されていた。この事件はちゃんとした情報がないままに救出活動が行われていたので、無防備で救出活動をしていた警察官や消防隊員などの負傷者も出した。事件は、地下鉄の入り口が戦場のようになっていたとのこと。多くの被害者が路上に寝かされて呼吸困難な状態になっていた。サリンの影響を受けたまま仕事に行った人などもいて後から表情を悪化させた。救助をしたことで被害を受けた人間もいる。目撃者や被害者はPTSD、心的外傷後ストレス障害に苦しんでいる。慢性の疲れ目や視力障害を負った被害者も多い。重度であると、脳中枢神経障害で後遺症や神経障害に苦しめられている人も多くいる。事件から二日後に家宅捜査をして、製造で使用されるイソプロピルアルコールや三塩化リン、サリンの溶剤として使用されたアセトニトリルなどが見つかった。事件前には上九一色村の土壌からサリンの物質が検出されていたが決定的な証拠が出ていなかった。そもそもサリンというのは、ナチス・ドイツで開発された有機リン化合物。生物に対する毒性の強烈な強さから取り扱いの危険が大きすぎる問題があって、化学兵器として殺傷行為に使う以外の用途はないと言われています。

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